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【読書感想】矢部嵩『少女庭国』:✕✕を自動生成するシステム

 

自分が崇拝するでびでび・でびる様がレビューしていたので読んだのだが、これが非常に面白かった。

 

詳細はネタバレ込みの下記感想に書くが、大前提としてこの本に百合を期待して読むと(どういう種類の百合を望むかによるが)基本的には肩透かしを食う、ということだけは伝えておく。この作品は正しくSFであり思考実験の記録だ。

 

〔少女庭国〕

〔少女庭国〕

 

 

 

読書感想を書き記すことまで含めて一つの読書体験、という感覚が自分の中にある――というか書評を書かないと読んだ本の内容をマジですぐに忘れてしまう。これは観た映画でも読んだ雑誌でもなんでもそう。

 

記憶は周期的なリトライやリプレイによって定着するというが、自分にとって感想を書いておき、それを折に触れて再読することは思い出の定着作業に近い。

 

 

 

以下、ネタバレ有り感想。

 

 

 

【ネタバレ有】

 

化石燃料ほかあらゆる地球上の資源のかわりに、ポップアップするのが無尽蔵に眠る人間、しかも卒業式を直前に控えた15歳の少女(+その少女が眠る石の部屋)だけだったとしたら、私たちの文明はどのように発展していくのだろうか? そういう思考実験のエミュレートを眺めるように読んだ。

 

自分はこれをストーリーテリングではなくシチュエーション(あるいはシステム)テリングの物語と受け取った。ソリッドなシチュエーションに雑多なモブであるA子B子を、あるいはどこか誇張したいびつなキャラクターを投入すると、システムが物語をほとんど無制限に、乱雑に自動生成する。作者は生成された物語を代行して――作者の脳内のエミュレータを通して――記述しているに過ぎない。

 

機械学習の出力を眺めるに近い。今回はそのメカニズムに沿って六十二パターンの物語が生成された。シミュレータだから登場人物の名前などはどうでもよく、だからナド子とかQ子みたいな素っ頓狂な名前も挿入されうる。

 

ふつうの物語は登場人物が主体となってクライマックスに至る物語を形成していく。キャラクターを中心にして物語は進む。しかしこの作品において物語の中心に座すのは無機的なシチュエーション(システム)の方だ。
だから展開される物語はストーリーというよりもシミュレーション的な要素が強くなる。登場人物は俯瞰で観察されるシャーレの中の培養細胞にすぎず、それゆえ展開される物語はどれもクライマックスを経て着地することはなくどこかぶつ切りに解放される。

 

このメカニズムについては登場人物である桜薫子の言葉を通して、作中できわめて直接的に我々に伝えられる(自分はそのことばを素直に受けとった)。

 

「(中略)シチュエーションだけ作って最初だけ手を入れて、あとは窓とかディスプレイとか見られる媒体があれば何もせずともぼんやり眺めてられる。日々伸びる背を、色づく様を、咲いては枯れる観賞用の殺し合いの種を撒いた無限の庭の移り変わりを」

 

「合理的なルールや阿漕(ソリッド)なシチュエーションを上手に作れなくとも」という言及が中でも特に興味深い。システム主体としたこの作品の中でさえ、物語としてのエンターテインメント性を最大化するのは結局システムの巧拙ではなく「状況に能動的に関わってくれる馬鹿な」キャラクターであると指摘しているようにも受け取れる。

 


ちなみに自分が通読中に思いついた解法は六十一番の手塚Q子が実行してくれた。自分はこの条件設定がなかば偶発的に五十六番前後の帝国で満たされるのではないかと予想していた(直接ドアを開けずに食料を調達する仕組みが延々と持続することで偶発的にn-m=1を満たす)が、そのような甘くベタな予想図は最初から作者の思うつぼだったというわけだ。

 

最初期はケータイ小説のようなカジュアルで軽薄な文体がどんどんエッジが立つ絢爛な装飾体にグレードアップしていく。この文章の加飾的洗練もまた、ひとつの文明の発達を見ているようで面白い。シム系ゲームのスタート時とロード時の差に、ここまで来たかと目眩のごとき達成感を覚えるような感覚に近い。

 

 

 

そして隣接するレビューを読んで今気になっているのがこの本。

同じような思春期少女をフックにしたハードSFシミュレーター的な内容らしく興味を惹かれる……。

最後にして最初のアイドル (ハヤカワ文庫JA)

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